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◆ノーベル平和賞受賞が決まった民主活動家、劉暁波氏 [国家]

―劉暁波氏「平和賞、天安門犠牲者にささげられた」―

 ノーベル平和賞受賞が決まった中国の民主活動家、劉暁波氏(54)。
受賞決定後初めて妻の劉霞さん(49)と面会したと聞く。
 劉暁波(リウ・シアオポー)氏は受賞の知らせを受け、涙を流しながら「平和賞は1989年の天安門事件※の犠牲者にささげられた」と語ったという。

 劉霞さんは面会後に北京に戻ったようだが、劉霞さんは中国当局によって自宅に軟禁されていて、劉霞さんの携帯電話は不通の状態が続いており、当局が外部との接触に神経質になっている、と。

 また、ツイッター上では10日夜、劉霞さん名の書き込みで、「北京に戻った。携帯電話は使えなくなり、電話を受けることができない」と。

 しかし、もはや中国も民主化の流れを止めることは出来ないのではないだろうか。

 天安門事件のビデオを見ると心が痛む。国家が自国民を戦車で踏み潰すまでにいたる国家とは?

※天安門事件
―北京市にある天安門広場に民主化を求めて集結していた学生を中心とした一般市民のデモ隊に中国人民解放軍が武力弾圧し、多数の死傷者を出した― 

 直接的なきっかっけは1989年4月15日の胡耀邦前中共総書記の死去だと聞く。翌日北京大学で民主化推進派の学生たちよって追悼集会が行われ、17日には北京市内で追悼集会が行われた。
 18日には1万人規模のデモ行進が北京市内で行われ、天安門広場で民主化を求める抗議の座りこみを始めたが、19日にはその数が10万人に膨れ上がったという。
 22日には人民大会堂で中国共産党主催による胡耀邦追悼集会が開かれたが、胡耀邦の功績についての再評価がなされなかったことから学生たちの怒りに火をつけ、23日には全国各地の大学で授業の無期限ボイコットという事態に陥った。

 なぜ胡耀邦の死がこのような民主化を求める大きなうねりにつながったのか。
それは胡耀邦が言論の自由や政治的民主化を主張していた「開明的指導者」として中国人民からの指示を集めていたからだ。
 1986年12月に安徽省合肥で民主化を求める集会が開かれ、その運動が瞬く間に全国に広がると、胡耀邦は鄧小平から「対応が生温い」と厳しく批判され、1987年1月に辞任に追い込まれてしまったのだ。
 
 1989年6月4日。中国の民主化を求める学生、市民らは北京の天安門広場を占拠して政府との対話を訴えた。だが、当局は5月20日、北京の主要部に戒厳令を施行し、6月4日未明に人民解放軍を投入、武力によって民主化運動を弾圧。

 ―この事件による死者は、中国共産党による隠蔽のため定かではないが、数百人という説から二千人、四千人という説まである。―
 
 
◇チベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ14世は11日、航空機乗り継ぎのために立ち寄った成田空港近くのホテルなどで取材に応じ、中国の民主活動家、劉暁波氏(54)のノーベル平和賞受賞について「ふさわしい時に、ふさわしい人が選ばれた。劉氏の後ろには数千人の市民がおり、中国の変化に大きく寄与するだろう」と評価した。ダライ・ラマはチベット独立運動に関連し、1989年にノーベル平和賞を受賞している。〔共同〕


 ☆1989年6月4日の天安門事件のとき、劉暁波氏とともに広場にいた学生指導者、王丹さん(41)は今、台湾・清華大学の客員教授をしている。8日夕方、劉氏のノーベル平和賞受賞は台湾新幹線の車内で知った。「たいへんうれしい。劉さんだけではなく、中国の民主化運動全体に対する評価と受け止めている」と声を上ずらせた。

 王さん自身、劉氏と同じように懲役11年の実刑判決を受けた。その後「病気療養」名目で渡米するようにとの当局の意向に従い、ハーバード大などで研究生活を送った。故国に戻れぬまま、民主化運動を理解してもらおうと世界各地を回っている。

 当局の監視を警戒し、ほとんど連絡をとることはなかったが、王さんにとって劉氏はずっと良き友人だ。「理性的にして情熱があり、ねばり強い人物」。2008年末、劉氏から電話をもらった。だが折あしく電話に出られなかった。それが最後となった。劉氏拘束の1週間前だった。「中国政府には即時釈放を要求したい。受賞は必ずその助けになる」と確信している。

 8日は、台湾南部・高雄市の中山大学で学生生活をテーマに講演。100人を超す学生らにこう語りかけた。「大学の役割は、社会をより良い方向に変えることだ。それは知識人の責任だ」 (asahi.com)
                                               
◆みなさんは、中国の民主化をどのようにとらえているでしょうか?

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