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◆在宅療養支援診療所 [平穏死]

在宅療養支援診療所

― 静かに幸せに 島で最期
 

「おじい、来たよ」

 沖縄・宮古島にある「ドクターゴン診療所」の医師、泰川恵吾さん(47)は、Iさん(94)宅の玄関先で声をかけ、部屋に上がった。

 心臓の機能が低下していたIさんは、泰川さんが訪れる2日前に40度近い熱を出し、寝たきり状態となった。泰川さんは、背負っていたリュックサックから聴診器と血圧計を取り出し、心拍などを確認。容体は安定しており、「おじい、上等(大丈夫)」と話した。

 Iさんは妻のFさん(91)と2人暮らし。
 数日前から、那覇市に住む次女、T子さん(66)が看病に訪れていた。T子さんは、Iさんが何も食べ物を受け付けない状態になっていることを気に掛けていた。

 こうした場合、腹部に小さい穴を開け、管を通して胃に栄養剤を流し込む「胃ろう」の処置をするという選択肢もある。だが、泰川さんは、診療所のほかのスタッフとも相談し、無理に水や食べ物は与えず、様子を見ることにした。

 泰川さんは、患者や家族が望まない限り、体への負担が大きくなる治療は行わないことにしている。

 10日後、水を1滴も口にしないまま、Iさんは自宅で静かに息を引き取った。
 T子さんは「緊急時には、診療所の先生や看護師さんが何度も駆けつけてくれました。離れて暮らす家族も集まり、みんなが見守る中での幸せな最期でした」と話す。

 泰川さんは、救急医として10年ほど東京女子医大病院救命救急センターに勤務した経験がある。

 「都会の救命救急センターでは、患者を看取ることは医者として『失敗』を意味します。息が絶え絶えの患者でも、人工呼吸器や人工心肺を取り付け、必死に延命しました」

 だが、次第に「看取りは必ずしも失敗とは言えない」と思うようになった。患者の症状によっては、どのような最期を迎えるのが最善か家族とともに考えていくことも必要だと考えた。

 泰川さんは2000年4月、故郷の宮古島に在宅医療を行う今の診療所を開設した。開業当初は、採用した医師や看護師が宮古島の生活になじめず、すぐに辞めてしまうこともあった。

 そこで04年、神奈川県鎌倉市にも診療所を開いた。都心近くの診療所との間でスタッフを数年ごとに交代させる仕組みにし、宮古島の診療所のスタッフを安定的に確保しようと考えた。

 現在、二つの診療所を合わせて約300人の患者を抱える。1日20~25人ずつ往診。泰川さんは、1週間ごとに宮古島と鎌倉を往復する生活を送っている。

 泰川さんは、「患者さんが少しでも長く自宅で家族と過ごせるよう、お手伝いをするのが自分の役目です」と話す。

(読売・医療大全記事より)

◇二つの診療所をもち、宮古島と鎌倉を往復する。これってステキなアイデアですね!

タグ:在宅療養
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◆多くが共感 平穏死を考える [平穏死]

平穏死を考える 読者の反響  胃ろう拒否 
 

 尊厳死協会の会員証と額縁に入れた尊厳死の宣言書を持つSさん。宣言書は、目立つように、いつもベッド脇の壁にかけておく(長野県佐久市の高齢者施設で) 寿命が来たら意味のない延命治療は避け、安らかに人生の最期を迎えたい――。「平穏死を考える」のシリーズ(6月10~16日掲載)に、多くの共感の声が寄せられたという。

 埼玉県に住んでいたSさん(80)は2003年、夫と二人でのんびり老後を過ごそうと、長野県佐久市の高齢者施設へ移り住んだ。

 ところが引っ越して2~3か月で、夫は認知症になった。動作が鈍くなり、幻視や幻聴などの症状が出た。
08年秋からは食べ物をあまり受け付けなくなり、09年2月、近くの病院で85歳で亡くなった。

 夫は、胃にチューブで栄養剤を流し込む胃ろうは拒否することを、事前に医師に伝えていた。家族も了解の下、最低限の点滴だけを受けながら、最後は入院して2週間で亡くなった。苦しむことなく、枯れ木の倒れるような自然死だった。

 公務員だった夫。早期退職後は、農業や旅行、山歩きなどを楽しんでいた。「おれはもういい。おれにかかる税金は、若い人のために使ってほしい」が口癖だった。無駄な延命治療は受けたくないと、夫婦で日本尊厳死協会にも入った。

 「夫は、尊厳死と言うのが気恥ずかしくて、『カード、カード(協会の会員証)』と言っていた。平穏死という言葉を今知ったら、『あー、いい言葉だね』と言ったと思う」と須藤さん。「私も平穏死、自然死でいきたい」と話す。

 「記事に癒やされた」と話すのは、東京都府中市の女性。4月中旬、認知症の母が亡くなった。口から食べられなくなった時、入所していた施設側から胃ろうを勧められたが、本人は元気な時に尊厳死を望んでいたため、断った。

 妹と二人で悩んだ末の決断だったが、「自分が死刑宣告をした気がして、ずっと落ち込んでいた」。そんな時、同じ選択をした家族の記事を読み、「私たちの決断は正しかったんだとようやく思えた」と話す。

 「私が訴えたいことを書いてくれた」という宮城県の読者は、88歳の母親が認知症を発症して20年。母は胃ろうを付け、施設で暮らしている。体重は30キロしかなく、大声で名前を呼ぶと目を開けるが、後は時折、手をもぞもぞと動かすだけ。たんの吸引時には苦しくて暴れるのだという。

 「胃ろうで栄養を補給するのは、本人を苦しめるだけとしか思えない。『認知症で食べられなければ寿命』という考えが早く浸透してほしい」

認知症患者の穏やかな最期の実現に取り組む精神科医の細井さん(千葉県袖ヶ浦市の袖ヶ浦さつき台病院で)  シリーズ「平穏死を考える」には、医療関係者からも多くの意見をいただいた。

 千葉県袖ヶ浦市にある袖ヶ浦さつき台病院・老人性認知症疾患センター長の細井尚人さん(41)は、10年前に認知症病棟の担当になった。現在60~70人の入院患者がおり、毎年二十数人が亡くなる。チューブで胃に直接栄養を送る「胃ろう」などの人工的な栄養補給や、高カロリーの輸液、心肺蘇生(そせい)などは、基本的に行わずにみとっている。

 患者が元気なうちから、どのような最期を迎えるのがいいのか、家族と話し合いを重ねる。長い経過を経た患者で、十分話し合った末なら、延命的な治療を望む家族はいないという。
 細井さんも当初は、延命を重視していた。しかし、次第に「本人のためになっているのか」との疑問が強まり、どう死ぬかを患者家族と考えるようになった。

 この取り組みを地域の講演で話すことも多い。一般市民には好評だが、反応が悪いのが医師。「医師は延命至上主義で教育されているので、『訴えられたらどうする』となる。医療は、患者を救えばおしまいではなく、『死ぬこと』にもかかわるべきだ」と、細井さん。「この議論は、医療現場だけで行うのは限界があると思う。社会全体で議論をするべきだ」と話す。

 新潟県内の病院で、胃ろうの手術を担当する消化器内科医の女性(41)は「日本人は、死を悪と思っている人が多すぎると思う」と言う。

 96歳の母親に胃ろうを付け施設に入れたい、と希望する息子がいた。胃ろうは家族でも扱えるのに、なぜ施設に入れるのか理由を聞くと「何かあったら心配」と言う。この医師は思わず興奮して「何かあるんです。96歳ですよ。あなたが、最期を見届ける義務があるんです」と声を荒らげてしまった。

 「食べられなくなったので胃ろうを」と、高齢者施設からは問答無用で患者が紹介されてくる。家族も「胃ろうにしないと、施設に置いてもらえない」と言うケースが多いという。

 「『平穏死』のすすめ」(講談社)を出版し、自然なみとりの取り組みを紹介した東京・世田谷区の特別養護老人ホーム医師の石飛幸三さんは出版後、講演の機会が増えた。「医師からの支援の声が多い。ようやく、いい方向に動き出しつつある」と話している。(藤田勝)

( 読売・医療大全記事より)

◆平穏死。自分だったらどうだろうか。自然な形で死を迎えたい、と私も思う。

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