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◆諏訪大社と邪馬台国卑弥呼 [日本文化]

諏訪大社の謎を追っていくと、一般説のようになっていることが、捏造だったり、後に加筆されたと分かることにぶつかります。


一般的に、


諏訪大社の建御名方命が出雲大社からやって来た大国主命の息子、ということになっているのですが、


実は、建御名方命は「日本書紀」には存在しないし、「古事記」の大国主神の系図にも記されていないとのこと。


つまり、後世になって、「出雲神話」に挿入されたようですね。



では、どこかに存在しないのか、と言いますと、


多祁御奈刀弥(たけみなとみ)神社(徳島県名西郡石井町諏訪213-1)


の社伝に、「諏訪大社は当社から宝亀10年(779年)に移遷された」、

とあります。


また、「阿府誌」には、


ータケミナカタ神社は、阿波の諏訪村にあり、諏訪大明神となり、大己貴命(大国主)の子なり。 御母は阿波の高志の沼河比売(ぬなかわひめ)なり」とあり、 社伝記の宝亀10年の記録に、信濃国諏訪郡南方刀美神社明神大には、「阿波国諏訪大明神を移遷し奉る。ー と記されていると。




やはり、元の


諏訪神社は、縄文時代のいつごろからか、この地にやって来た古代イスラエル人に始まった、


ミシャグジ(イサクの犠牲)神


が、信仰の対象だったのだと。


時代に応じて、ストーリーが次つぎと付け加えられていったのだと。


御柱祭、御頭祭、守矢山


これらの事柄を見るにつけ、諏訪大社は、この国に渡来したもっとも古い世界が継承されている。


つまり、旧約聖書の世界を守っている。




旧約聖書と新約聖書の推定成立年代と照らし合わせてみると、


紀元後に3度にわたって渡来した秦氏の一団は、新旧の聖書を携えてやって来たと考えられる。




同様に古いと思われる出雲大社。さらに元伊勢と言われる籠神社(このじんじゃ)。


出雲大社は、伊勢神宮に国譲りした。同様に古くからある諏訪大社とも関連付けた。




換言すると、物部神道を継承しつつ、新旧のバイブルを携えて渡来した秦氏のグループに譲った。




古事記にも記載されている諏訪大社が、全国各地にある諏訪神社の総本社であり、 国内にある最も古い神社の一つとされ、出雲を舞台に国譲りに反対したこと、また、日本書紀には持統天皇が勅使を派遣したと書かれている、などを勘案すると辻褄が合ってきますね。




それらの新旧の事実が、神話を生んでいった。




そして、ここへ来て、


古代南イスラエル・ユダとの関連が浮上してくる。


古代の中枢・君子の国ー卑弥呼との関係が。




徐福、卑弥呼・・




今日では、伊勢神宮、熱田神宮、出雲大社などがクローズアップされているが、卑弥呼の時代、諏訪の地が大いに関係していたのかもしれない・・応神天皇の時代より前の消されている時代の・・  




やくだつ市場





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◆籠目かごめ、諏訪大社の謎を追って [日本文化]

後の正面だーれ?


カゴ・メー カゴ・メー
カグ・ノェ・ナカノ・トリー
イツィ・イツィ・ディユゥー
ヤー・アカ・パニティ
ツル・カメ・スーベシタ
ウーラッシュ・ショーメン・ダラ


この古代ヘブライ語を、この国の言葉でわらべ歌にして流布したのは誰?



堅く安置された物を取り出せ

契約の箱に封じ納められた 神器を取り出せ

今年は、伊勢神宮と出雲大社の式年遷宮の年。


後ろの正面が知らされ、この国の秘密が明かされる。


日本人だと当たり前のように思っていたが。

大きく6つの人種が集まった国。




権力の政治の経済の中枢に入り、良くも悪くもこの国をリードしてきたのは誰か。
知らずしらずに使い、歌ってきたこの国の歌に落とし込まれていた謎が、この年明らかにされた。

日本人って誰? どこからやって来たの?



縄文時代人は、弥生時代人は、・・大和朝廷は、誰がつくったの?




かつて日本最古の家系と言われる海部宮司が奥宮・真名井神社の鳥居横に籠目紋を刻印した石碑を建てたものの、
「六芒星だ」と騒がれ、わずか1年で撤回となったことがあるという。


現在は三つ巴紋に修正されているが、元の籠目紋のものを映した画像がネット上に出回っている。


ツル・カメ・スーベシタ
ウーラッシュ・ショーメン・ダラ



古代イスラエル語の言葉から、日本のわらべ歌に落とし込まれたこの国の神宮・神社の秘密。


伊勢神宮と出雲大社。


鶴と亀が出会った(統べった、統一された)⇒旧約聖書と新約聖書が揃い、出雲大社と伊勢神宮が統べった。



後ろの正面、すべてのあらましが秘められている元伊勢神社がある。


籠目紋の


をそのまま名前にした籠神社(このじんじゃ)

京都府宮津市にある「元伊勢籠神社」

これから、この国はどういう方向へ動き出すのだろう? 契約の箱を携え・・




やくだつ市場




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◆諏訪大社と出雲大社ー謎が謎を・・ [日本文化]

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諏訪大社は、出雲大社と関係しています。


古代イスラエルの旧約世界が持ち込まれたのではないか。

秦氏渡来前の紀元前に古代イスラエル人が渡来している。


イサクの神(ミシャグジ)が諏訪地方の土着信仰となっていたということは、もしかして、徐福の一団。

徐福は紀元前3世紀頃の人物で、2度渡来。その当時のこの国の人と結婚して、

その子が卑弥呼とも言われている。卑弥呼は霊能力があったこともありあの地位に。


徐福は、秦の始皇帝の子孫でジョセフだったとも言われているし、秦の始皇帝は青い目の大男だったとも。


大秦(だいしん)は、中国ではローマ帝国のこと。

秦は、~からやって来た、という意から、やはり、古代イスラエルかローマ辺が考えられる。


日本の神社。秦氏前の古代イスラエル人が築いた神社。

それは、物部氏の神社。紀元後にやって来た秦氏とは、南北イスラエル人としても、同じ旧約の神さまを信じていた。追いかけて新約聖書を持参して渡来したグループがいた。新旧二つは合体して合わせ鏡は完成(年毛神社も関係)。



日本の古事記と日本書紀は、旧約聖書と新約聖書の日本版の思考が根底に。

二つを関連させて読み解く。契約の成就。旧約の預言が新約で、そして、黙示録。



神話は、単なる神話という作り話ではない。そこには、重要な事実と真理が含まれている。

表現上違うように思えるかもしれないが。


同様に、古事記と日本書紀の中にも、事実が含まれている。



今年は、伊勢神宮と出雲大社の式年遷宮が重なった。
ツル・カメ・スーベシタ

契約の箱、三種の神器、物部神道(この国に先に来ていた古代イスラエル人神道)と新しい神道(秦氏渡来以降の神道)。



諏訪大社の先住人・物部守矢(守屋・森谷)⇒ミシャグチ神(アブラハムの子・イサクの犠牲)
Moriahのヘブライ語: מוריה



そこへ出雲から大国主命の息子・建御名方神(タケミナカタ)がやって来たわけです。



ところが、

この話には大切な前置きがある。


出雲の大国主は、天津神(天照大御神ら高天原にいた神々)から国を譲るように言われ、二人の息子が承知するのなら、と答えた。


そこで、天津神は、建御雷神を大国主の元へ遣わした。


すると、事代主神は、承知したが、もう一人の息子・建御名方神は、
それならば力くらべをしようではないか、と言った。


その闘いで建御雷神が勝利した。



建御雷神は、再度、大国主の元を訪れた。
「二人の息子が天津神に従うのなら、私もこの国を天津神に差し上げる。その代わり、私の住む所として、天の御子が住むのと同じくらい大きな宮殿を建ててほしい。私の百八十神たちは、事代主神に従って天津神に背かないだろう」と言った。(以上、国譲りの一般的でラフなコメント)



ということで、負けた建御名方神は、諏訪の地に逃れていったわけです。



結果、二つは、大祝( おおほうり)と神長官として共存していくことに。

その大祝が、諏訪氏。信濃国諏訪地方の領主。諏訪神社上社大祝ということですね。

守矢家は、神長官。



諏訪大社は建御名方神と、その妻・八坂刀売を祀っているが、

神事のほとんどはタケミナカタではなく、ミシャグジを祭神としてのもの。


国を譲り、息子が諏訪に逃げてしまう一方で、
出雲大社の祭神・大国主命は、代償として、世にも立派な神殿を建てることを要求したんですね。



実際、昔の出雲大社は、現在の建物とは違い、世界一の高さだったとも。

高さ100メートル。天空の社殿ですね!




巨大な木の柱を3本束ねて一つにした方法で柱を立て、天空へと導いた。

その柱が、出雲大社から見つかったのですね。弥生中期ということです。



その絵図があるということですが、興味のある方は検索してね。



淀江歴史民俗資料館には、上古の出雲大社の大神殿と浮橋を彷彿させる絵画土器があり、

その絵図を見ると唖然とします!



やっぱり、そうだった・・

この地上の人間だけで、あの時代、その建造物を建てることは不可能だったに違いない。


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◆諏訪大社-あまたの神話、侮れず! [日本文化]

守矢家は縄文文化が栄えていた古代において、
「洩矢(もりや)の神」と呼ばれ、諏訪大社の祭祀を司ってきた。

祭祀の中心的なお祭りは「御頭祭」
供え物の中には75頭の鹿、鮒(ふな)、雉、ウサギなども。


諏訪大社について追っていくと、さまざまなお話が現れてくる。


時代の変遷とともに、次のお話をつくり広がっていったのだろう。

これは、実に人間的というか、よくもこれだけあるものだと、感心すらしてしまう。


一般的には、 建御名方神(タケミナカタ) が登場する。そして、別名、 諏訪大明神(スワダイミョウジン)、
さらに別名、 南宮大明神(ナングウダイミョウジン)。


かわいそうなのは、 一番古くからいた、

ミシャグジ(イサクの犠牲)神が出てこない解説もあることだ。

これは、土地の人でないから、七十八代も続いた守矢さん(※以下)のことを知らないからだろう。
※ ミシャグチ神の祭祀権を持っていたのが神長であり、重要な役割としてのミシャグチ上げや、ミシャグチ降ろしの技法を駆使して祭祀をとりしきっていた。

(むかし諏訪は、洩矢(モリヤ)という神が治めていて平和だった。 そこに建御名方神が出雲族を引き連れて侵入し、洩矢の神を打ち負かした。 諏訪は建御名方神の支配するところとなった。 建御名方神は諏訪湖を渡って対岸に上陸した。 そこが諏訪神社の上代である。 この伝説で、洩矢という神と言われるのは、諏訪上社の神官を務めていた守屋氏のことで、 古代信濃の土俗神「ミシャグチ」神という自然神を祀ていた。 御神体は本宮の後ろの守屋(洩矢)山とされている。 そして「御頭祭」として、明治まで動物献上・人身御供が行われていた。※旧約聖書のモリヤ山、のモリヤにはさまざまな漢字があてられる)

ところで、

建御名方神(タケミナカタ) の妻は八坂刀売神(ヤサカトメ)という方でした。

諏訪湖では、冬になると、湖面の表面に氷が張り、おみわたりという氷の亀裂に生じる突起物が発生します。


この現象は、上社に祀られているタケミナカタが下社のヤサカトメのもとを訪れる際にできたものだと。
(※以下、別居後、さみしくて会いに行った)


二人の間には、
子どもが13人もいたのですが、ある時夫婦げんかして別居。

それが、上社と下社、という興味深い神話も。


諏訪大社 (4社から成り立つ)
1.諏訪大社上社本宮  長野県諏訪市中洲宮山
2.諏訪大社上社前宮  長野県茅野市宮川
3.諏訪大社下社春宮  長野県諏訪郡下諏訪町
4.諏訪大社下社秋宮   長野県諏訪郡下諏訪町


諏訪神社は、全国に7000~10000社以上あり、全国諏訪神社連合会を結成しているんですね。

なんでも、
沖縄県を除いて、ほぼ全国に分布している、という日本でも一番古い神社といわれていますが、これまでふれてきましたように、謎が横たわっています。

ただよう愛


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◆ミシャグジ神、諏訪大社の不思議 [日本文化]

建御名方神(タケミナカタノカミ)は、建御雷神(タケミカヅチ)に力くらべを申し出、建御雷神の手を掴むとその手が氷や剣に変化した。


これを恐れて逃げ出し、科野国の州羽の海(諏訪湖)まで追いつめられた。建御雷神が建御名方神を殺そうとした時、


「もうこの地から出ないから殺さないでくれ」と建御名方神は言って服従した。


この力くらべは、古代における神事相撲からイメージされたものだと考えられている、とか。
(旧約聖書のシュモーですね)


この神話は、『古事記』にのみあって、『日本書紀』にはないという。

suwa.jpg


ところで、

諏訪地方には、タケミナカタノカミの前に、ミシャグジ神

という土着信仰がこの地方にあったのですね。

これは、縄文時代と弥生時代のこと、と指摘している方も。
タケミナカタは、出雲からやってきた稲作民族(弥生文化)
そして、この地に古くから住んでいた守矢一族は狩猟民族(縄文文化)

諏訪大社にまつわるお話は、この国の文化を・・

私の頭に浮かび上がってくるのは、この地方に渡来してきたミシャグジ神


ミシャグ⇒イサク  ミシャグジ⇒イサクの犠牲

アブラハムの子、イサク


守矢家は、ミシャグジ神という神様を降し祭祀を取り行ってきたのです。

鹿や猪の頭とかさまざまな物が供えられてきた。御頭祭。


ああ、そして御柱祭、

あのキヤリの声が聞こえてきます・・



タグ:諏訪大社
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◆諏訪大社 モリヤ山 [日本文化]

モリヤ(Moriah)


ヘブライ語: מוריה



新改訳聖書や新共同訳聖書の旧約聖書に登場する地名。


今日のエルサレムの付近にあったと言われている。


「主が備える地」あるいは「主顕現の地」という意。


『創世記』22章2節
『歴代誌下』3章1節

の二箇所に記述がある。


『創世記』では神がアブラハムに息子イサクを「モリヤの地」に連れてくるよう命じている。


神が命じた山の上で息子を犠牲にするよう、アブラハムに求める場面がある。


諏訪大社の御頭祭 (諏訪大社上社の神事)


『歴代誌下』ではソロモン王が「エルサレムのモリヤ山」で神殿の建築を始めている。


モリヤ山はソロモンの父ダビデの前に神が現れた場所でもある。


諏訪大社にある
神長官守矢資料館
http://www.5884atease.com/kanko/moriyasiryou/moriyasiryou.htm


※史料館の建物は、郷里出身である藤森照信氏の設計による。

史料保護のため鉄筋コンクリート造り。
屋根には諏訪産の鉄平石、外壁にはサワラの割板、内部にはワラ入りモルタル、手吹きガラス、
鍛造(たんぞう)による金具などが使用され、周囲の景観を損ねないような配慮が成されている。



☆藤森 照信(ふじもり てるのぶ ):
1946年11月21日 長野県諏訪郡宮川村(現茅野市)出身。
東北大学工学部建築学科卒
元東北大学非常勤講師。工学院大学教授、東京大学名誉教授、東北芸術工科大学客員教授。

専門は、日本近現代建築史、自然建築デザイン。日本建築学会の建築歴史・意匠委員会委員を歴任。


守屋氏(もりやうじ)は、信濃国諏訪郡守屋山発祥の諏訪神家である。

☆守矢早苗:七十八代目頭首



「もりや姓」に関しては、守谷、守矢、守家、森谷、森矢、杜屋など漢字を当てたのですね。

守矢は、信濃国諏訪郡発祥にて洩矢神の子孫と伝え、現在長野県諏訪地域に多い。




やくだつ市場




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◆達磨さんが転んだ! [日本文化]

諏訪大社から、この国の隠された謎を追って




神武天皇の幼名・狭野尊(さののみこと)に因む狭野神社という神社がありますが、

神武天皇という呼称は、奈良時代後期の文人である淡海三船が歴代天皇の漢風諡号を一括撰進したときに付されたとか。




天皇が即位した月日は明治期に新暦に換算され、2月11日とされ、1967年(昭和42年)に建国記念の日となったとのこと。




神武天皇の名前は、

『古事記』では神倭伊波礼琵古命(かむやまといわれひこのみこと)で、

『日本書紀』では神日本磐余彦尊(かむやまといわれひこのみこと)。




これは、古代ヘブライ語で、


「 カム・ヤマトゥ・イヴリ・ベコ・シュメロン・マクト」


「サマリヤの王、ヤハウェのヘブル民族の高尚な創設者」という意だとか。 

サマリヤは、古代の北イスラエルの首都。




われわれが住んでいるこの国は、

ほんとうにどういうこと?




旧約聖書の世界がそっくり持ち込まれている。




神武天皇に該当する人物が存在したとすれば、古代イスラエル人としか考えられませんね。




描かれている画像も、高い鼻で体格も立派。やはり、渡来人。




渡来人の顔と言えば、

達磨さんの顔立ち。


やはり、渡来人の顔ですね。




達磨大師は南インドから来たと言われるが、

キリストの使徒の一人であるトマスが宣教していた場所ですね。


彼は、南インドで布教、殉教しました。




七転び八起き





旧約聖書の箴言24章16節に、


神に従う人は七度倒れても起き上がる

とあります。



達磨大師とキリスト12使徒の一人トマス

http://www.youtube.com/watch?v=UU2RwXmpLvI




また、

達磨さんの顔には、鶴と亀が描かれている。




伊勢神宮と出雲大社




カゴ・メー カゴ・メー

ツル・カメ・スーベシタ

ウーラッシュ・ショーメン・ダラ




なんと巧みに、二重の意味を隠しこんだ・・。


これは、神仏分離前の、

習合(Syncretism)のあらわれですね。




ほんとうに、

曽我氏と物部氏の宗教戦争(引き起こした黒幕がいたとも)ー丁未の変(ていびのへん)ーで、


物部氏が勝っていれば、神道関連の図書館も焼かれることなく、

厩戸皇子の実体も分かり、今日の日本もだいぶ違っていたのでは、と思いますね。




☆御柱 木落とし

http://www.youtube.com/watch?v=AN7A7CTewr0&list=PLAC708F9A16DCA96D





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◆秘められたこの国、縄文人から現代日本人、二つの式年遷宮年! [日本文化]

縄文時代はクリが主食だった、とラジオから流れる声。

クルミ、トチ、ドングリなども大切な食糧だったと思われますが、漁は今日でも続いていますね。
狩猟も大変だったことでしょう。

1万6千年も前は、この国はどうだったろうか。今日と異なり、陸地も大陸とつながっていた部分があったでしょう。

私の子供の頃、アイヌ民族のことが教科書に載っていたように記憶しています。

日本民族って、混血種なんだ、と、最近は実感しています。

細かく分ければ、相当数になるのでしょうが、おおざっぱには、6種類の民族が混在している混血種とすれば、
人それぞれ、違っていたり同じだったり。もちろん、パーソナリティーは、十人十色ですが。

☆ アイヌ族 (小アジアから来ているヒッタイト族)

☆ 古代朝鮮族 (ツングース族)

☆ 苗族(ミャオ族) (南支那から来た常世族)

☆ ネグリート族 (南洋フィリピン方面からの民)

☆ 天孫民族 (セム系イスラエル民族)

☆ 支那民族 (歴史時代に帰化した漢、唐、呉など北部民)

カムヤマトイワレビコノミコト」は、ヘブライ語やアラム語などの古代西アジア言語で解釈すると、
ヘブライ民族から誕生した神の選民を集めた開拓者」ということになるそうです。

国家を失った古代イスラエル人は、イザヤの予言に従って西アジアより日本に移住を開始し、
神武天皇の指導のもとに大和の地に結集し、天皇家の歴史を築くことになったのだと私も思います。

神武天皇に該当する人物が現存したのでは、と。もしかすると、古代イスラエル人かもしれませんが。

彼らの血筋をひいている人が、今日存在すると思われます。

鋭い鷲鼻で、色白で堀の深い人がこの国にも多く存在しますから。確かにミャオ族とは顔つきが異なりますね。

アイヌ人、琉球人なども、古代イスラエル人と同系統のY染色体を保持していたようです。

日本の神社に見られる「カゴメ紋(六芒星)」。
カゴメ紋は別名「ダビデ王の紋章」といわれ、ユダヤ人のシンボルになっている。

今年は、
出雲大社と伊勢神宮がそろって遷宮を迎えた記念すべき年

2013年 ツル・カメ・スーベシタ

60年に一度の遷宮、出雲大社(5月)、20年ごとに式年遷宮を繰り返す伊勢神宮(10月)

遷宮は夜に行われ世が開ける。隠されたこの国の過去。

ウーラッシュ・ショーメン・ダラ

謎は徐々に解かれていきます・・


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◆げくう遷宮ー秦氏 [日本文化]

外宮で遷御の儀


豊受大神宮(外宮)


★10月5日 午後1時から翌6日午前5時

外宮(げくう)の主祭神が豊受大御神 (とようけのおおみかみ)

『古事記』では豊宇気毘売神と表記されている。食物、穀物を司る女神。




大和政権における天皇の系譜は、初代神武から9代、あるいは、13代まではフィクションといわれる。





応神天皇の時、記録にあるように、大陸から渡ってきた秦氏一族(数千人から1万人)が、天皇に協力して大和朝廷の設立に関わったと思われる。秦氏の土木技術が用いられ、古墳が巨大化したと考えられる。




秦氏は、失われたイスラエル10部族のひとつであるマナセ族の末裔(アミシャブ:イスラエルの10部族調査機関)であると。


大和朝廷を立ち上げるために天皇家を強力にバックアップした秦氏一族は、ユダヤ教の教え、しかも、原始キリスト教徒であったのだろう。



それらは、秦氏が設立にかかわった宗教的な建物や習慣に、ヘブライ語や旧約聖書の儀式・慣習、


また、ユダヤ性だけでなく、新約聖書の教理や教えが、秦氏が渡来した当初から示されていることで分かる。

伊勢神宮の外宮:


外宮が建てられたのは二十一代・雄略天皇のときだと言われている。


◆雄略天皇 古事記~489年、日本書紀 456~479年


アメノミナカヌシ(豊受大神)、クニノトコタチ、ウカノミタマ(顕現の神、稲荷大神)は、


キリスト教の三位一体(父なる神、子なる神、聖霊)を表している。




外宮には、このうちのアメノミナカヌシ(天の真中に座す神=父なる神)が祀られている。


秦氏は、内宮で祀られている、カナンやエジプトの地にもあった偶像崇拝起源の太陽神(アマテラス)ではなく、旧・新約の両方に共通の「父なる神」を祀った。





タグ:秦氏と日本
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◆1300年つづく式年遷宮! ルーツを追って・・ [日本文化]

式年遷宮(第62回)=伊勢神宮(三重県伊勢市)

伊勢の国に鎮座する内宮・外宮、125社を総称して伊勢神宮と言われる。


「神人分離」が言われるようになっておよそ90年かけて現在の伊勢に遷座されたというが、
式年遷宮は飛鳥時代から1300年続いているという。


伊勢神宮の年間参拝客数は、毎年700万~800万人ほどだが、


2013年は、9月30日の時点で、すでに951万人と、過去最多を記録していて、1000万人を超えるのでは、と。20年前の前回は、838万人だった。


何故ここへ来て急に参拝客がふえているのか?


自らを見つめ、自らのあるべき姿、また生き方を真剣に考える人々が増えてきたのか?


「皇室のご祖先の神」ともいわれる天照大神(あまてらすおおみかみ)がまつられる伊勢神宮(三重県伊勢市)。


20年に1度、新社殿にご神体を移す式年遷宮の「遷御(せんぎょ)の儀」が2日始まった!


式年とは、定まった年という意味で、神宮では二十年ごとに様ざまな祭りを行いながら、

大御神様が、今までお鎮まりになっておられたお社を新たに建て替えるのをはじめ、お着物や日用調度品などもすべて新しくして、大御神様に新殿へのお遷りを仰ぐ祭典「遷都」が行われるのだという。


皇大神宮(内宮)
10月2日 午後1時から翌3日午前5時


豊受大神宮(外宮)
10月5日 午後1時から翌6日午前5時


この間は域内への参入もできないそうです。


新宮へのご参拝は、
皇大神宮が10月3日午前5時から、豊受大神宮は10月6日午前5時から開始です。


◆皇大神宮
皇室の御祖神である天照大御神(あまてらすおおみかみ) を祀っている。


◆外宮(げくう)の主祭神が豊受大御神 (とようけのおおみかみ)
『古事記』では豊宇気毘売神と表記されている。食物、穀物を司る女神。


さて、一般的に言われていることを記してきましたが、

アマテラスオオミカミとトヨウケノオオミカミ

とは、何のことで、どこからきたのでしょう・・


伊勢とは、
ヘブライ語のイシャ、イエス・キリストをイサと呼ぶ国も。
イシャ⇒医者⇒助け、救い
救い⇒神の救い⇒救世主⇒イエス・キリスト⇒イセ⇒伊勢

全国に元伊勢が数多く存在するのは?

ヘブライ語で書かれた三種の神器の一つである八咫鏡が伊勢神宮にある理由は?


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◆ファンタジックな伊勢山ヒルズと井伊直弼 [日本文化]

北欧のファンタジックな街並みを歩いているような紅葉坂。


fan.jpg

通りの反対側を歩いてまもなくすると、



横浜能楽堂と井伊直弼像。



時の流れが浮かび上がってきました・・





続きは、以下「見開きサイト」にて




見開きサイト



タグ:紅葉坂
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◆日本発見 久留米絣! [日本文化]

久留米絣(くるめがすり)は、南方から琉球を経由して伝わった絣と別に、江戸時代後期、井上伝という当時12歳の少女が創始したとされる。

福岡県久留米市および周辺の旧久留米藩地域で製造されている絣。
織る前に柄を染め分ける織絣。綿織物で、藍染めが主体。
伊予絣、備後絣とともに日本三大絣の一つともされる。

昭和51年(1976年)経済産業大臣指定伝統工芸品に指定されている。

一時は年間200〜300万反を生産したが、戦後は洋装化により絣の需要が激減、現在は少量の生産にとどまっているという。

なんとも味わいのある、日本を感じさせるではありませんか!

◆久留米絣の歴史◆久留米絣


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


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