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◆生前は面と向かって会えなかった人 [作家と作品]

小さなこの本を手にするのは何年ぶりでしょうか。




生前は、さまざまな思いがよぎり、この方に面と向かって会ったり話したりすることはありませんでしたが、 あるとき思いたって手紙を書きました。




複数の評論家を紹介してくださいました。




そのうちの一人が私の作品を読んでくださり、夜電話をくださいました。




その後、その作品は出版されました。




その方・上総英郎氏は、評論家で当時大学教授をなさっておられました。




フランスのノーベル賞作家・モーリヤックを遠藤周作氏の後を継いで翻訳もなさっておられました。




お二人とも、もうこの世界から向こうの世界へ旅立たれましたが。






☆遠藤 周作
1923年(大正12年)3月27日 ~ 1996年(平成8年)9月29日)

※関連は、以下、「しみるブロ」 でふれております。




しみるブロ


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共通テーマ:日記・雑感

◆フランス山から大佛次郎記念館へ [作家と作品]

このところ、デジカメをバッグに忍ばせ、

横浜再発見に出かけております。

先日は、マリンタワー、横浜人形の家、フランス山、港の見える丘公園、大佛次郎記念館、外人墓地・・

と回ってきました。

IMG_0133.JPG

懈げに猫の瞳の落花追ふ」 (大佛次郎句集より)

鞍馬天狗』で有名な大佛次郎さんですが、
大のネコ好きだったのですね。

つづきは、以下「見開きサイト」にお立ち寄りくださいね。画像入りでふれています。

見開きサイト


◆「冬」の付くタイトルが多い立原正秋作品 [作家と作品]

立原正秋の『冬の旅』を読み終え、
「本と旅の世界」でふれました。


立原正秋の作品には、「冬」の付くものがいくつかあるのですね。


今読んでいるものは、

立原正秋の『冬の花』-新潮文庫-

です。

これまでは立原正秋を読む気にならなかったのです。

昨日は、病院に検査に行ってきました。
待っている間、この文庫を読んでいました。

これは、
立原正秋の随筆集ですね。
立原正秋は54歳で、食道癌で亡くなりました。

生前、氏のところへ原稿を取りに行っていた某出版社社長からその様子を聞いていました。
ある事件がきっかけで、出版社は倒産しました。それで私の著書も絶版になってしまいました。


『冬の花』では、
当時の文壇の人たちの間(出会い)に関するあれこれ。

川端康成、吉行淳之介、平野謙、大久保房男編集長、高見順、藤枝静男、小川国夫、埴谷雄高、山室静、加賀乙彦、高井有一、武田勝彦、岡松和夫・・

誰がどう言ったとか言わないとか、ほんとうはどうだったとか書かれています。


今もおそらく似たようなことが行われているのだろうと思いますが。
私は圏外ですが、、想像はつきます。
おもしろいですね。文士の。

『冬の花』に出てくる人の中で私が出会った人もいます。

埴谷雄高氏と金子昌夫氏です。もう、お2人とも亡くなりました

『冬の花』は随筆集となっていますが、
立原正秋の入院治療にもふれています。

立原の晩年に、近いところに住み、なにかと同行していたと思われる岡松和夫氏が登場し、氏が解説を書いています。

作品は昭和55年10月に新潮社から刊行されたとあるが、文庫へのあとがきで、

岡松氏が、(昭和六十年六月、作家)と記しているのです。


タグ:昭和の作家
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◆ドストエフスキー『貧しき人々』 [作家と作品]

 「謎とき『罪と罰』」江川卓著を読み終え、江川卓氏はすでに亡くなってしまって、さびしいかぎりだが、ドストエフスキー作品について、いろいろと知ることが出来た。

この著書では、ドストエフスキーの創作ノート、時代背景、そして造詣の深い言語からのアプローチにより、『罪と罰』の謎が解き明かされている。

この著書を読んでの感想は、「本と旅の世界」(ツヅブロ)でふれたが、私としては、今度は、ドストエフスキーの『貧しき人々』を読まなければならないと思った。

それで、今、ドストエフスキー処女作『貧しき人々』を読んでいる。

ドストエフスキーは、お金に困っていたということで、完成しない原稿について、原稿料の計算を繰り返したり、工兵 学校時代の同窓で、同じ借家に住んでいたD・V・グリゴローヴィッチという新進作家に頼み、ネクラーソフに原稿を 渡してもらった経緯があったようだ。

生活苦のためだったからとも言えるが、自作をここまで商品として売り込んでいくドストエフスキーの気概は大したものだと思わずにはいられない。 ドストエフスキーという人は、それだけ創作に打ち込んでいたし、ある面自信があったのだろうと思う。
 また、作品紹介を読んでいると、創作の背景に並々ならぬ努力の跡が感じられるのである。

 書き上げた作品には、渾身の思いを込めたという自信があった反面、渡してしまってから、(あの人はおれの『貧しき人々』なんか、一笑に付してしまうだろう!)と不採用への危惧で揺れていた。

 だが、D・V・グリゴローヴィッチとネクラーソフは、夜明かしして、ドストエフスキーの『貧しき人々』を読む結果になったという。それほどに感動を与えた作品だったというのだ。


 私も今、米川正夫訳で、河出書房から出された全集で、『貧しき人々』(現在この出版社の本は品切れのようなので、以下に新潮文庫のものを記載した)を読んでいる。

「ヴァルヴァーラ・ドブロショーロヴァ」の手紙の中で、家庭教師・ポクローフスキイとその父親について書かれた部分を読んでいて、世の中に父子のことをこれほどに描き切ることが出来る人がほかにいるだろうか、と思うほどにひきつけられて読んでいる。


ところが、
昭和40年(1965年だが昭和で記載されている)に初版が発行されたドストエフスキーの『貧しき人々』米川正夫(河出書房新社)を読んでいて、貨幣の記述で納得がいかないところが出てきたのでネットで検索してみたが、分からなかった。

最近出ているもので在庫があるものを探したが、同じ出版社のものは品切れで、出回っているのは、新潮社の文庫本し か見当たらなかった。

運動を兼ね、いくつか古本屋を徒歩で探し回ったが、『貧しき人々』は見つからなかった。別な出版社のもので、訳者 が違えば分かるかもしれないと思ったからだ。古本屋を回ったのは、安価で入手できればと思っていたのは事実だ が。

仕方なく、最近出来た新横浜駅ビルの三省堂書店にエスカレータで上がっていった。

やはり、文庫でしかないようだった。お金もないので、新潮社の文庫本で分からないことが判明すれば事足りる。

書棚から抜き取り、ペラペラとその箇所を探した。

その箇所とは、往復書簡で成り立っているこの作中で、ヴァルヴァーラ・ドブロショーロヴァが、ヴァルヴァーラ・ アレクセエヴナに宛てた手紙の中で、彼女は全財産は紙幣で三十ルーブリとあるが、うまく値切って銀貨十ルーブリに まけてくれることになった、とある。

が、それでは、お金が足りない、というくだりが出てくるのだ。

三十ルーブリと十ルーブリでは三十ルーブリの方が多いから、どうして足りないのだろう、という疑問だった。

その箇所が見つかった。

ルーブリがルーブルと訳されているが、数字の部分は同じだった。

そこには括弧つきで、―「銀貨十ルーブル(訳注 紙幣三十五ルーブル)」―とあったのだ。

河出書房新社の年譜によると、ドストエフスキーがこの作品『貧しき人々』に着手したのが、1844年で、1845年5月初め完成)となっている。

銀貨と紙幣の差額があったのだ。当時のロシアで、兌換制度がどの程度広まっていたのか曖昧だが、差額があったと解釈して良いのなら納得できるのだ。

新潮文庫の『貧しき人びと』(儘)は、「木村 浩訳」である。

読書はつづく・・

貧しき人びと (新潮文庫)

謎とき『罪と罰』江川卓/著
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