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◆イエズス会 ヨゼフ・ピタウ氏 願い叶わず! [信仰と教育]

日本のイエズス会管区がもっとも開かれているのではないかとピタウ氏は感じたそうです。

上智大学で働いていたイエズス会をみても、出身国は43カ国にのぼっていた。非常に国際化されている、と。

ようやく日本へ戻ることが出来る、と喜んでいたが、今度はグレゴリアン大学の学長に任命された。従順の誓いを立てていることから、この決定には従うことになった。

ローマ法王庁立のグレゴリアン大学は、イエズス会が運営を任されており、代々学長はイエズス会士が務めることになっている。また神学生も、世界各国から司教などに推薦された神学生らのエリートが集う大学でもあるという。

学生は約3700人だったが、修道者でもなく司祭を目指すわけでもない一般の学生が600人ほどいたという。
イタリアでは、宗教も大きなニュースになることから、マスコミ志願者もいたとのこと。キリスト教を深く知らなければ文化人とは話が出来ない、という政治家も学んでいた。日本からの学生もいて、日本語を話す学長の存在にほっとしていたとのこと。

97年から、ヨゼフ・ピタウ氏は、法王庁立科学アカデミーと社会科学アカデミーの事務総長も務め、毎月1、2回、世界中からトップレベルの学者を招き、講義をしてもらった。招聘するのはカトリック信者に限らなかったと。
半分以上はノーベル賞受賞者で、日本の学者も招聘されたと。

バチカンは、17世紀にガリレオ・ガリレイの地動説を異端としたが、間違っていたのは神学者たちの狭い解釈だった。
1992年。ヨハネ・パウロ2世は教会の誤りを公式に認めた。そして、自然科学と宗教がどう関わりあうべきかについて指針を見出そうと、アカデミーに力を入れた。

アカデミーで驚いたのは、カトリック信者の学者とそうでない者の意見に、ほとんど違いがないことだったという。
           
                (讀賣・時代の証言者、を読んで)

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◆文芸(のあいちいHP)
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◆本と旅の世界



◆日本へ帰国 ヨゼフ・ピタウ [信仰と教育]

◆教育と信仰 讀賣新聞「時代の証言者」 教育と信仰 ヨゼフ・ピタウ


世界11億人の信者を持つカトリック教会の本部・バチカン(ローマ法王庁)で教育省次官まで務めたヨゼフ・ピタウ大司教。


宣教師として日本で30年近く教育に携わった。


2003年、バチカン(ローマ法王庁)で教育省次官であったピタウ氏は、定年の目安である75歳を迎えたことから、ローマ法王ヨハネ・パウロ2世に退官を申し出た。
日本へ帰りたいという思いは翌年かなった。
生まれ育ったイタリアではなく、日本をついの住み家に選択した。


※イエズス会の修道士として宣教のため、一生を日本にささげる覚悟で渡ったのだという。
まさか、途中で呼び戻され、24年近くもローマとバチカンで過ごすことになるとは思っていなかったという。


「日本は、私が司祭に叙階された特別の思い入れのある国です。司祭としての礎を築いてくれた国でもあります」と、ピタウ氏。


日本へ始めてやってきたのが24歳の時で、1952年のことだったという。
当時の日本は、敗戦の痛手が残り、困窮状態だった。最初のクリスマスにイエズス会の教会がある山口県内を回り、目にした光景を忘れません、と。爆撃で崩壊した建物が残存する中、どこの町でも一番立派で新しい建物は学校だった。運動場やプールもあった。親たちは食べる物が充分でなくても、子供により良い教育環境を与えたいと頑張っていた。
国を立て直すのに、先ず教育に力を入れる日本に驚くと同時に深い関心、尊敬、そして愛を感じたという。



氏の写真と、たどってきた人生の道のりを読んでいて、私は思わず涙が溢れてきた。



※イエズス会
カトリック教会の男子修道会の一つで、1534年、イグナティウス・ロヨラ、フランシスコ・ザビエルによって創設された。ローマ法王に特別の従順を誓うこと、カトリック教会にあって教育を担う逸材を輩出することで知られている。



ヨゼフ・ピタウ:
1928年イタリア生まれ。カトリック教会大司教。1952年来日。上智大学教授などを経て学長。81年法王の命でローマへ戻り、法王庁立グレゴリアン大学学長、法王庁科学アカデミー事務総長などを歴任。著書に、『日本立憲国家の成立』



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