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◆システィナ礼拝堂 ヨゼフ・ピタウ氏 [ご案内]

ヨゼフ・ピタウ氏がローマに着いた翌年、素晴しい計画が発表されたという。

システィナ礼拝堂の壁画が全面的に修復されることになり、日本テレビがこれを全面的に支えることになった。

システィナ礼拝堂は、バチカン市国内にある法王の公式礼拝堂で、15世紀に建設され、16世紀にミケランジェロが描いた壁画「最後の審判」と旧約聖書の9場面からなる天井画があり、新法王を選ぶ会議「コンクラーベ」の会場としても知られている。

日本テレビは、修復作業の映像記録と全世界への独占放送権を300万ドル(当時の換算で約7億円)で獲得し、この権利金で修復が賄われたという。

ヨゼフ・ピタウ氏は、日本に居るときに、バチカンから「内定」通知を受け取った小林与三次・日本テレビ会長にアドバイスを求められたという。
「信者でないのになぜキリスト教施設の修復にお金を出すのですか」ヨゼフ・ピタウ氏がたずねると、「2000年にわたって様々な芸術を守ってきたことに敬意を表したいのだ」と。また、お嬢さんがカトリック系の学校で良い教育を受けたことへのお礼なのだとも。

ワンマンな方だ、との印象を受けたが、だからこそ、あのような大事業の決定が出来たのではないかと。

1982年4月から12年間にわたる修復作業が始まった。
ヨゼフ・ピタウ氏は、ときどきシスティナ礼拝堂に日本テレビのスタッフを訪ねたという。

足場に上り、天井画の一つ「アダムの創造」を間近で見た時の感動は忘れられないという。

アダムの創造は、旧約聖書の中で、最初の人間とされるアダムと創造主の指先が触れる場面を描く。神が命を吹き込んでいるのだという。

修復が始まると、欧米などで、なぜ日本のテレビ局なのか、という声が上がった。しかし、バチカンは、世界中のテレビ局や映像関係者に呼びかけていたが、応じたのは日本テレビだけだったのだという。

◆システィナ礼拝堂

◆システィナ礼拝堂関連


※ヨゼフ・ピタウ:イエズス会に所属。カトリック教会大司教。元上智大学学長。

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☆裁判員候補 [ご案内]

来年5月に始まる裁判員制度。

全国の地裁が作成する候補者名簿に登録される人の数は、295,000人と決まった。

全国での選ばれる確立は352人に1人の割合とのこと。

全国の有権者、約1億385万人に対して、候補者になる人は29万4960人。

実際は、地域差が最大3.6倍になる。

秋田は790人に1人で千葉は220人に1人。私の所の横浜は、397人に1人。

あなたは、どちらにお住まいですか?

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◆日本語の慣用句・言葉の使い方 [ご案内]

日本語の慣用句・言葉の使い方
ー誤答 10人中7人ー


★憮然・・がっかりしてぼんやりするさま。おどろきあきれるさま。
★檄を飛ばす・・自分の主張や考えを広く人々に知らせて同意を求める。
★煮詰まる・・物事が充分に検討され、結論に近づく。
★足をすくわれる・・卑劣な方法で失敗させられる。
★さわり・・話の要点。
(※上記が本来の意味)

・文化庁が今年3月、「日本語の慣用句や言葉の使い方について」調査(全国の16歳以上の男女3445人を対象に)した結果、70%以上の人が、
「檄を飛ばす」「憮然」の本来の意味を取り違えていたことが分かった、という記事を讀賣新聞で読んだ。


「檄を飛ばす」・・元気のない者に刺激を与えて活気づける。(誤答例 73%)
「憮然」・・腹を立てている様子。(誤答例 71%)
「さわり」・・話などの最初の部分。(誤答例 55%)

・「足をすくわれる」と「足下をすくわれる」とを混同。


☆特に「煮詰まる」は、世代間で使い方に大きな開きがあった。文化庁は、「言葉の意味が変化している過程かもしれない」と。・・

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★「悪魔の詩」ラシュディ氏に「ナイト」の爵位! [ご案内]

英国のエリザベス女王は25日バッキンガム宮殿で、小説「悪魔の詩」の著者サルマン・ラシュディ氏(61)に、「ナイト」の爵位を授けた。同氏は、今後。「サー・サルマン」と呼ばれるという。
同氏は、式典後、報道陣に対し「長年の執筆活動が認められてうれしい」「悪魔の詩」を書いたことについても、「後悔していない」と答えたという。

「悪魔の詩」は、イスラム教の預言者ムハンマドを侮辱しているとして、イランの革命指導者ホメイニ師が、1989年、同氏に死刑を宣告。昨年6月に英政府が爵位授与を発表した際にも、イラン、パキスタンなど、イスラム諸国が反発していた。そのためか、式典は発表から約一年後のこの日まで延び延びになっていた。

◆1989年2月14日 イランの最高指導者アーヤトッラー・ホメイニーによって著者のラシュディ、及び、発行に関わった者などに対する死刑宣告が言い渡され、ラシュディはイギリス警察に厳重に保護された。死刑宣告はイスラム法の解釈であるファトワー(fatwa)として宣告された。
1989年2月15日 イランの財団より、ファトワーの実行者に対する高額の懸賞金(日本円に換算して数億円)が提示された。
1989年6月3日 心臓発作のためホメイニーが死去。ファトワーの撤回は行われなかった。ファトワーは発した本人以外は撤回できないので、以後、撤回することはできなくなった。
◆1991年7月12日 日本語訳を出版した五十嵐一(筑波大学助教授)が勤務先の筑波大学にて何者かに襲われ、喉を繰り返し切られて殺害された。他の外国語翻訳者も狙われた。イタリアやノルウェーでは訳者が何者かに襲われ重傷を負う事件が起こった。
1993年 トルコ語翻訳者の集会が襲撃され、37人が死亡した。
1998年 イラン政府は、ファトワーを撤回することはできないが、今後一切関与せず、懸賞金も支持しないとの立場を表明。
2006年7月11日 五十嵐一の事件で(実行犯が1991年から日本国内に居続けたと仮定した場合の)時効が成立した。


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【糖尿病食】ニチレイフーズダイレクト
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★桃井かおりさん紫綬褒章! [ご案内]

☆学術、芸術、スポーツなどの事柄に功績があった人に主に贈られる【春の褒章】紫綬褒章に 女優・桃井かおりさん(57)が選ばれた。悪ぶった役を演じていたが、独特な味わいをかもし出す女優さんですね。
文学座を経て19歳で映画デビュー。
「幸福の黄色いハンカチ」「もう頬づえはつかない」
物憂げなところに味わいがあったのでしょうか?
国際政治評論家の父・真さんを4年前に亡くし、
現在は、「無名の新人としてもう一度がけっぷちに立とう」と、米国でアパート暮らしを始めたという。

90歳まで現役で、「死んだら死体役で」、と。

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★ 「ラスト、コーション =色、戒」 [ご案内]

今回、高樹のぶ子氏がふれている1940年代の上海を舞台にした、張愛玲原作の「ラストコーション」という映画。
私は、このブログで初めて知った。

「ラストコーション=色・戒」は1939年の国民党の対日女工作員だった鄭苹如による丁黙邨暗殺未遂事件をモデルにしている、と。
張愛玲とその最初の夫であった胡蘭成との関係も投影されているともいわれている、と。
張愛玲は多くの作品を残したが、小説のほかにも散文、映画脚本、文学論も書いている。
張愛玲の作品のうち『怨女』『流言』『半生縁』『張愛玲短編小説集』は、1960・70年代前後に台北の皇冠出版社から改めて出版され、1980年代に海外で販売。
張愛玲の小説のスタイルは、戦後台湾の文壇における小説の流派に、大きな影響を残している、と。

2004年2月、台湾皇冠文化集団が設立50周年を記念して、張愛玲の遺作『同学少年都不賎』を出版すると公表。

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◆張愛玲

1920年(1921年説あり)上海で生まれる。
祖父は清朝末期の名臣張佩綸、祖母は清朝末期の洋務運動の指導者の一人であった李鴻章の娘であった。
1922年、一家は天津に転居。張愛玲は4歳のときに私塾に入り、1928年上海に戻る。

1930年、中学校に進学する際に張愛玲に改名する。同年、両親が離婚。
1931年、上海にあった米国聖公会の聖マリア女学校に進学、翌年には処女作となる短編小説『不幸的她』を校内刊行物に発表。

1939年、香港大学に進学。成績優秀。戦争の悪化により学業を中断せざるをえず、上海に戻って文学創作活動専念。

1943年、『沈香屑 第一炉香』、『傾城之恋』、『心経』など、代表作となる作品を発表。同年に汪兆銘政権幹部の胡蘭成と知り合い、翌年に結婚。
1947年に離婚。
  
1955年、アメリカへ移住。1956年に劇作家のライヤーと知り合い結婚。小説『秧歌』『赤地之恋』の執筆を開始。ストーリーの背景に「三反五反運動」時代がある、と。
しかし、これらの作品は、当時の中国の思想と相容れぬものがあったため、「毒草」と批判を受ける。
また中国の文学界においては、張愛玲自身も長きに渡って典型的な悪玉と見なされ、改革開放後にようやく見直されることとなった。

1967年、夫ライヤーが死去。清朝の長編小説「海上花列伝」の英文翻訳に取り掛かる。
1973年、ロサンゼルスに移り住む。
1995年、9月8日、ロサンゼルスで死去。74歳。

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恐竜・ステゴンの家出  

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★『消えた高校生』
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★国籍宗教隔てなく・外国人墓地 [ご案内]

《横浜外国人墓地》から 

 横浜には以下の地に外国人墓地が4つある。

◆中区山手町・中区仲尾台・中区大芝台・保土ヶ谷区狩場(英連邦戦没者墓地)

この中で最も古く有名なのは、山手町の「横浜外人墓地」
「横浜外人墓地」の始まりは、ペリー来航時の1854年(安政元年)。
日米会談のために横浜に来航した艦隊の水兵が死亡し、現在の元町にあった増徳院の境内に埋葬された。この水兵は、日米和親条約によって開港されることになった下田(静岡)の玉泉寺に改葬された。

1859年(安政6年)アメリカなどと結ばれた修好通商条約により、下田に代わって横浜が開港された。
それから間もない8月25日。2人のロシア艦隊員が何者かに殺害され、増徳院の境内に埋葬された。
その辺りには日本人の墓もあったという。
更に翌年には、ある英国領事が、病死したイギリス人水夫を別の場所に勝手に埋葬して問題になった。
そこで幕府は、約5300㎡の土地を棚で囲い外国人の墓域に定めた。
その後拡張を重ね、1878年(明治11年)までに現在の墓域が確定したという。

横浜外国人墓地は、現在まで外国人に無償で貸与されている。幕末に有料化が検討されたが、攘夷派浪人の凶刃により不慮の死を遂げた外国人が多かったこともあり、国際親善の観点から無償貸与と決まった。

幕末には、幕府が土地や棚を造成し、外国領事団に貸与する形式だったが、1869年(明治2年)にすべての管理を外国側に委ねることになり、1870年に外国領事団から居留外国人の代表で作る管理委員会に管理権が委譲された。
この委員会は、1900年(明治33年)に、財団法人横浜外国人墓地となり、今日に至っている。

横浜外国人墓地は、居留外国人の共同墓地として、国籍や宗教によって分け隔てしないというのが幕末以来の方針だった。

今でこそ高層ビルに視界が遮られているが、かつては港を望むことが出来、山手でもっとも眺望の美しい場所として、居留外国人に愛されてきた。またそのことが、当時死亡した水兵への思いやりだったようだ。

★横浜外国人墓地正門                          

★横浜外国人墓地

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☆高樹のぶ子氏「ナント音楽祭紹介」

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☆作家・金鶴泳とは [ご案内]

すでに亡くなりましたが、心の奥に気にかかっていた一人の作家がいます。
その人の『凍える口』という作品を読んでから、ひとの心の奥に巣食っている苦しみのことが、書棚へ目がいくたびに思い出されるのです。在日、朝鮮半島。国家間の狭間で民族意識は一人の傷つきやすい作家の心に何を与えたのか。
その作家の本格的文学展が群馬県高崎市の土屋文明記念文学館で開かれています。

生誕70年 金鶴泳 -愛を求めて

期   日 : 平成20年2月2日(土)~3月16日(日)
開館時間 : 午前9時30分~午後5時(入館は4時30分)
休 館 日 : 毎週火曜日
観 覧 料 : 一般  400円(320円)/大学・高校生  200円(160円)/中学生以下  無料
      ※( )内は、20名様以上の団体割引料金
  
◎講演会
  期 日 : 3月2日(日)
  時 間 : 午後2時~3時30分
  演 題 : 金鶴泳の青春
  講 師 : 吉永 哲郎氏(郷土研究家)

◎対談
  期 日 : 3月9日(日)
  時 間 : 午後2時~4時
  テーマ : 金鶴泳の文学の特質
  出席者 : 黒川創氏(作家)……主な作品 若冲の目/もどろき/イカルスの森 など 
          文弘樹氏(図書出版クレイン代表)

◎講演会
  期 日 : 3月16日(日)
  時 間 : 午後2時~3時30分
  演 題 : 金鶴泳の文学
  講 師 : 黒古一夫氏(筑波大学大学院教授)

★申込方法(共通)
事前に電話・FAX・葉書・文学館受付にてお申し込みください。先着順で各定員100名です。定員になり次第締め切ります。受講料等は無料ですが、展示観覧の場合は、受付にてチケットをお求めください。

★問い合わせ先
  電  話 027-373-7721
  FAX 027-373-7725
  住 所 〒370-3533 高崎市保渡田町2000番地

金鶴泳(きん かくえい、キム ハギョン、1938年9月14日 ~ 1985年1月4日)
本名は金廣正(キム クァンジョン)。
1938年、群馬県に生まれる。東京大学大学院化学系研究科博士課程中退。
1966年に「凍える口」で文藝賞受賞。以後作家活動に入る。
「冬の光」「鑿」「夏の亀裂」「石の道」の四作が芥川賞候補作となる。
吃音者・在日朝鮮人二世という苦悩の中、独自の世界を描いた。1985年、自死。享年46歳。

著作
『凍える口』河出書房新社, 1970年
『金鶴泳集』河出書房新社, 1972年
『あるこ-るらんぷ』河出書房新社, 1973年
『石の道』河出書房新社, 1974年
『鑿』文藝春秋, 1978年
『郷愁は終り、そしてわれらは』新潮社, 1983年
『金鶴泳作品集成』作品社, 1986年
『金鶴泳作品集』1-2, クレイン, 2004-6年
『〈在日〉文学全集6金鶴泳』勉誠出版, 2006年

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★芥川賞選考会・高樹のぶ子氏! [ご案内]

高樹のぶ子氏「SIAブログ」より

来週は芥川賞選考会です。煮詰まってくると、外出もせずに、朝から夜まで読みまくります。
ですから、今日は嵐の前のお買い物日でした。
お化粧品やタイツ、キャスター付きのバッグ、ニーハイのブーツなど、メモしてたものを、あたかも万引きするがごとく、走り回って買ってきました。
・・・・・・・・・・・・つづきは、以下「SIAブログ」より

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☆中村中(アタル)さんの世界 (3)

性の問題での苦悩があったわけですが、そこから紡ぎだされるシンガーソングライターの深みは、人間として持っている共通部分に深く浸透している。
その深みが、男女の性を越えて聞く人(または見る人)の心の琴線を震わせるのだと、複数の曲を聴きながら思う。
私も、聴くたびにこみ上げてくるものを感じます。
これから、さらに世界の中村中としてビッグになっていき、人々の心を震わせ、癒していって欲しいものです。

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☆高樹のぶ子の「SIAブログ」上海編! [ご案内]

「プラタナスと古い家と高層ビル」

上海は、緯度としては決して高くないのに、私が住む福岡よりかなり寒いです。大きい川はあるけれど、内陸部の気候なんでしょうね。広い通りは空っ風がふいていて、昔は自転車が流れを作っていたのでしょうが、最近は車社会になりつつあります。  そんななか、ふと目に付いたのは、プラタナスの中に鳥のように花のように散る赤い色・・近づいて見ると、人間でした。赤い作業服を着て、プラタナスの枝を切り落として . . . つづきは、以下

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《文芸案内》
ヘルマン・ヘッセ Hesse, Hermann (1877-1962)
詩人、小説家。牧師の子としてカルフで生まれる。ドイツ文学を代表する文学者。
神学校を退学して詩人となり、詩集『ロマン的な歌』(1899)や詩文集『ヘルマン・ラウシャー』(1901)を経て、
『ペーター・カーメンチント』(1904)で名を高めた。二つの世界大戦には一貫して反戦の立場を貫いた。
1946年に『ガラス玉演戯』などの作品でノーベル文学賞を受賞した。

主な作品:
郷愁
車輪の下
春の嵐
デミアン
シッダールタ
知と愛

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☆野間文芸賞の授賞式 [ご案内]

◆高樹のぶ子氏の「SIAブログ」より

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今週は東京で野間文芸賞の授賞式がありました。
選考委員になったのは去年からですが、去年はSIA台湾編でランユイ島にいて、結局、出席できませんでした。
今年は、15年も前、作家代表団で一緒に中国を旅した佐伯一麦さんが受賞されたこともあり、上京してお祝いを言ってきました。

 彼の受賞作「ノルゲ、ノルゲ」は、ノールウエイでの一年を描いた切ないけれど清々しい長編でした。
私は選評に書きました。
「小説にテーマは必要か、人生だけがあれば良いのではないか」
これはもちろん暴言ですが、そんな一瞬の感慨を伝えたかったのです。
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続きは、以下より
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☆:セーレン・オービエ・キェルケゴール
1813年5月5日 ~ 1855年11月11日)
デンマークの哲学者。
今日では一般に実存主義の創始者、またはその先駆けと評価されている。キェルケゴールは当時とても影響力が強かったヘーゲル哲学あるいは青年ヘーゲル派、形式ばかりにこだわる当時のデンマーク教会に対する痛烈な批判者であった。
1813年5月5日、セーレン・キェルケゴールは、56歳の父ミカエル・キェルケゴールと、45歳の母アンネ・ルンの末子の第七子として、コペンハーゲンに生まれた。父ミカエルは、相当な資産家であったが、西ユトランドにある寒村の貧農の出で、幼少期、寒さと飢えに苦しみながら生活していた。その頃、彼は絶望に駆られ、激しく神を呪ったことがある。母のアンネは後妻で、結婚の5ヶ月後には第1子を生んだ。つまり結婚前にすでにミカエルの子を宿していたのである。この不貞と12歳のときに神を呪ったことが、敬虔なキリスト者であったミカエルを一生涯悩ませることとなった。ミカエルは子供たちに、異常とも言えるほど厳格に宗教教育を行った。神に呪われた人間であるという自覚から、神の祝福を信じきることができない父の憂愁は、幼いセーレンに深く刻み込まれ、キェルケゴールはその憂愁を受け継いでしまう。後にキェルケゴールは「私は生まれたときから老人であった」と自らの幼児期を追憶している。

<主要著作>
1841年学位論文『イロニーの概念』
1843年『あれか-これか』・『おそれとおののき』・『反復』
1844年『不安の概念』・『哲学的断片』
1845年『人生行路の諸段階』
1846年『非学問的あとがき』
1849年『死に至る病』
1850年『キリスト教の修練』

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☆芥川賞作家・高樹のぶ子氏の創作のプロセス! [ご案内]

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☆望郷のバラード
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 天満敦子さんのバイオリンを聴いてきました。
久しぶりに聴く「望郷のバラード」でした。
彼女とのお付き合いは、ずいぶん長いです。もう10年になる・・
今も彼女のプロフィールでは、拙著「百年の預言」について触れられています。

 彼女のヒット曲「望郷のバラード」をめぐるドラマに注目して、長編にしたいと思ったまでは良かったのですが、何しろ、東欧革命前の大混乱期の話で、ルーマニアに取材に行かなくては何も解からず、ずいぶん天満さんに援けてもらいました。
アッちゃんありがとう!
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続きは、以下より
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☆『ガリヴァー旅行記』:
船員ガリヴァの漂流記に仮託して、当時のイギリス社会の事件や風俗を批判しながら、人間性一般への痛烈な諷刺を展開させた傑作。

ジョナサン・スウィフト(Jonathan Swift): 1667年11月30日~ 1745年10月19日)
英国系アイルランド人の司祭、諷刺作家、随筆家、政治パンフレット作者。
『ガリヴァー旅行記』・『穏健なる提案』・『ステラへの消息』・『ドレイピア書簡』・『書物合戦』・『桶物語』などの作品で知られる詩人である。スウィフトは恐らく英語で第一流の散文による諷刺作家であろう。スウィフトは、レミュエル・ガリヴァー、アイザック・ビッカースタッフ、M・B・ドレイピアのような筆名によって、あるいは匿名で彼の作品を発行した。

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☆芥川賞作家・高樹のぶ子氏「SIAブログ」『妖精の舞い』! [ご案内]

高樹のぶ子氏「SIAブログ」

『妖精の舞い』

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 今日は、女子新体操の世界大会が福岡でありました。
ブルガリア、カザフスタン、中国、日本、ロシアの五カ国の舞姫たちが、ロープの演技を繰り広げました。
各国、5人のチームなので、呼吸が大事なようです。

 3時に始まる予定で、でかけたのですが、結局競技は6時近くになりました。
競技が終わり、日本は4位でしたが、そのあとで世界トップレベルのエキジビションを見ました。

 私は、ずっと舞台裏を見ていました。
何時間も前から、練習を続けています。
表舞台よりそちらの姿の方が美しいのです。限られて場所で必死に同じ演技を繰り返している・・

続きは、◇高樹のぶ子のS I Aブログ、にて、以下

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☆与謝野晶子:
明治11年(1878)12月7日 大阪府堺区(現在の大阪府堺市)甲斐町46番屋敷の和菓子商駿河屋二代目鳳宗七の三女として生まれた。
明治24年(1891)堺女学校を卒業後、「堺敷島会歌集」や「よしあし草」での短歌の発表を経て、明治33年(1900)5月、『明星』2号に短歌を6首発表。
以後『明星』が主な作品発表の場となった。
『明星』を主宰していた与謝野鉄幹と出会う。処女歌集『みだれ髪』を刊行し浪漫派の歌人としての地位を確立した。(のちに鉄幹と結婚)
一躍世間の注目をあびた晶子はその後も歌集の刊行や古典文学の現代語訳など後世に名を残す活躍をした。
一方では、13人の子の母として、忙しいながらも女性の権利や学校の設立など社会活動も行った。
多くの人との交遊を深め、明治・大正・昭和の時代にその名を馳せた。
昭和17年(1942)5月29日、自宅にて永眠。享年64歳。

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☆【文芸と資格】: ☆作家の街:桜色の部屋

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★『消えた高校生』 ★白鷺の飛翔(性同一性障害)

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☆芥川賞作家・高樹のぶ子氏「トークブログ38」アップされる! [ご案内]

(高樹のぶ子氏「SIA」の上海取材より帰国されました)
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◆トークブログ38「トップがターゲット」

今日の天下りの行方。
このトークブログが意味することは何でしょうか?
皆さんしっかりと目を開いていてください。
世の中を操っているのは一体誰でしょうか!?
「トークブログ38」をご覧ください!

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◇高樹のぶ子のS I Aブログ

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作家紹介:
Hans Christian Andersen 1805~75年。
デンマークの童話作家。その童話は80ヵ国語以上の言語に翻訳され、世界中で愛されている。
1805年4月2日、デンマークのオーデンセに、貧しい靴職人の子として生まれる。
14歳で役者を志してコペンハーゲンに出る。30歳のとき、イタリア旅行の体験をつづった「即興詩人」を書き、作家として認められる。
その後『おやゆびひめ』『人魚ひめ』『みにくいあひるの子』『はだかの王さま』など多くの童話を書き、70歳で亡くなるまでに150編あまりの童話を発表。
今では、「童話」といえばアンデルセンの名が出てくるほどに、世界中の人々に愛されている。

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☆【文芸と資格】: ☆作家の街:桜色の部屋

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★『消えた高校生』 ★白鷺の飛翔(性がテーマ)

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☆高樹のぶ子氏上海へ [ご案内]

☆高樹のぶ子氏は、以下のように上海へ取材中ですが、お住まいをテーマに「トークブログ」がアップされました。
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3日から上海です。SIAの五回目。
上海が中国を代表する都市かどうかは別にして、いまアジアでもっとも活気の溢れている都市のひとつであることは確かです。
上海という大都市を動き回って、潘向黎さんとの対談や小説の舞台訪問などをしますが、ホテルにもどったとき、このブログを覗いてみるつもりです。
日本語入力のパソコンがあれば、海の向こうから、コメントできますね。
ネットカフェなども、あるかもしれません。

潘向黎(パン・シアン・リー)(1966~)
福建省の泉州生まれ。文革のため上海復旦大学教授だった父親とは別々に暮らし、母と上海に戻ったのは12歳のとき。文学少女だった潘さんは、その間ずっと古典小説を読んで育ったという。
1992年から2年間、東京外大に留学。日本語は流暢で、表現力も豊か。
6月、優秀な若手作家に贈られる庄重文文学賞を受賞。初の長編「明月楼」の準備にも取り掛かっている、と。清代末、1900年ごろの江南古鎮を舞台にした大家族の物語だとか。
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人(目が見えるひと)は、それを当然のように思っていますが、見えない世界は、目を瞑ってみれば想像できます。・・・

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☆芥川賞作家・高樹のぶ子氏と哲学的夢幻歌人・ 水原紫苑氏 登場! [ご案内]

(^・^)美人作家と歌人登場!
芥川賞作家・高樹のぶ子氏と哲学的夢幻歌人・ 水原紫苑氏が
「SIAブログ」に登場!

☆高樹のぶ子氏は、島清(しませ)恋愛文学賞 選考委員
島清(しませ)恋愛文学賞初代受賞作: 高樹のぶ子『蔦燃 』( つたもえ)
1984年に『光抱く友よ』で芥川賞
1995年に『水脈』で女流文学賞
1999年に『透光の樹』で谷崎潤一郎賞
2006年に『HOKKAI』で芸術選奨文部大臣賞

☆水原 紫苑(みずはらしおん1959年2月10日- ):日本の歌人
1989年に第1歌集『びあんか』を刊行し翌年現代歌人協会賞受賞
第3歌集『客人(まらうど)』で第1回駿河梅花文学賞受賞
第4歌集『くわんおん(観音)』で第10回河野愛子賞受賞
第7歌集『あかるたへ』で第5回山本健吉文学賞・第10回若山牧水賞を受賞

テレビにも出演し、1999-2000年には『太陽』で、文化人女性へのインタビュー「美女論」を連載した。
歌舞伎好きとしても知られる。近年、小説も文芸誌に発表している。

美しき脚折るときに哲学は流れいでたり 劫初馬より 
パラシュートひらきし刹那わが顔のステンドグラス荒天に見ゆ
われらかつて魚なりし頃かたらひし藻の蔭に似るゆふぐれ来たる

             水原紫苑

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☆数学者でエッセイスト・藤原正彦さん! [ご案内]

数学者でエッセイストの藤原正彦さん。先日の讀賣の記事面白かったですね。
「国家の品格」はベストセラーですか。
数学者は、物事の本質にしか関心がない。直線的で単純です、と。
数学を極めることはそうかもしれませんが、数学者という人間が必ずしも単純だとは思いません。数学における追究は、筋が通っているでしょうが、数学者個人の頭脳は、深いものがあると思いますよ。

お父様の作家・新田次郎氏は、「弱者を救え」と、息子さんの藤原正彦さんに教えたとのこと。両親の考え方がぜんぜん違っていた、というのも面白いですね。
しかし、ご両親とも人間として立派に生きることを信念にしていたように、私には思われますね。
今、日本はモラルが欠如し、拝金主義の傾向が強くなっている、と私も思います。特に、権力の座にある者たちは。

「弱いものの立場に敏感であれ」
これってすばらしく人間的というか、人間社会を生きる上で、真の意味の人間の尊厳というか、大切なことだと私は思います。

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◇芥川賞作家・高樹のぶ子氏のS I Aブログ

古墳(こふん)とは、一般には墳丘を持つ古い墓のことである。3世紀後半から7世紀前半に築造されたものを特に「古墳」と呼び、それ以外の時代につくられた墳丘を持つ墓は墳丘墓と呼んで区別している。

近江(滋 賀 県) 

大岩山(おおいわやま) 古墳群 ・皇子山(おうじやま) 古墳 ・大森 古墳
熊野本(くまのもと) 古墳群・ 神郷亀塚(じんごうかめづか) 古墳
新開(しんかい) 4号墳 ・猪子山(いのこやま) 古墳
大塚山(おおつかやま) 古墳・ 姫塚(ひめづか) 古墳
雪野山(ゆきのやま) 古墳・ 若宮山(わかみややま) 古墳
八幡社(はちまんしゃ) 古墳群・ 和田 古墳群
定納(じょうのう)1号墳・ 大岡高塚(おおおかたかつか) 古墳

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ー女流作家に寄せて (乃阿 一葦)ー  

☆平林たい子氏は私の郷里の人です。(私の生まれた川岸村も、諏訪郡から、 昭和30年に岡谷市に編入)

平林たい子
明治38年 旧・諏訪郡中洲村(昭和30年4月1日 中州村・湖南村が諏訪市に編入)の貧しい農家に生まれる。

小学校のときロシア文学を読む。戦後、『かういう女』
で第1回女流文学大賞を受賞。プロレタリア文学作家。

昭和27年 ニースで開かれた世界ペン大会に出席。以降ドイツや韓 国、フィリピン、ノルウェーなどを歴訪、講演や会議に出席

昭和47年 市川房枝らにみとられ死去。女流文学者会葬。恩賜賞、内閣総理大臣賞、紺綬褒章を受ける。

昭和の初めに、林芙美子らと女性作家グループを作ったんですね。私が二十代半ばのときに亡くなっているのだから、
会おうと思えば会えたわけですが、その頃はとてもそんな心境ではなかったし、作品らしきものを書いていなかったから。

信州といえば、島崎藤村を思い浮かべると思いますが、信濃北部の北国街道柏原宿に、貧農の長男として生を受けた、
小林一茶がいます。
一茶の『おらが春』に、「我と来て遊べや親のない雀」
という句がありますが、一茶は、3歳のとき生母を失い、8歳で継母を迎えています。

さて、氏の上記履歴は、ほんの一部分の記載で大変失礼しましたが、平林たい子の郷里の時代背景は、女工哀史・ 野麦峠の時代です。
明治時代の生糸の生産は、当時の輸出総額の3分の1を支えていたとのこと。明治~大正時代。現金収入の少なかった飛騨の農家では、13歳前後の娘たちが野麦峠を越えて信州の製糸工場へ働きに行った。
信州へ糸ひき稼ぎに行くのには、クマザサの生い茂る吹雪の峠を通らなければならなかった。標高1672mの野麦峠。13歳前後の娘達がこの野麦峠を越え、岡谷、諏訪の製糸工場へと向かった。
年の瀬に故郷へ帰る途中で死んでいった娘たちも多かったと聞く。大晦日に持ち帰るそのお金は、飛騨の人々には、欠くことが出来ない収入源にだった。借金返済のためにも、当てにされたお金だった。
山一・山二・片倉組・小松組などの岡谷の製糸工場の社名が、私の記憶の底から甦ってきました。 「ああ野麦峠」

このことは、地元岡谷・諏訪の農家の人々にとっても同様です。平林たい子は、私の母より数歳先輩でしたが、わが母は末の私を産んで四十代で病死。
今年の兄弟の新年会で、兄の一人(元国際線パイロット)から、わが母も岡谷か諏訪の製糸工場へ生活費を稼ぐために行っていたことを初めて聞きました。
むろん、脳出血で倒れる前のことでしょうが。その頃、両親とも「あかぎれ」がひどく、膏薬を焼け火箸で溶かして傷口へ流し込んでいたと。蚕の糸があかぎれに食い込んで、さぞかし痛かったことでしょう。涙が出てきます。
我が家は、私が生まれる前から、シーズンになると家の中の部屋で養蚕をしていたようです。学校に上がる前は、広い二階(敷居も間仕切りもない)は全て蚕室だった。母が、急な階段を桑のいっぱい詰まった篭をかついで上がるのは大変だったでしょう。
中学生になってからは、中心が二階から下の部屋へ移ってきました。高校生になってからは、やったりやらなかったりだったように記憶しています。
シーズンの養蚕が始まる前、消毒のため家中がホルマリンの鼻を突くにおいで満たされたこと。部屋いっぱいに棚が作られ、蚕室の隣で寝ている私の耳に、ザワザワという桑の葉を食む蚕たちの音が聞こえていました。
畑へ桑摘みに行き、重い篭をかついで帰った辛い記憶が今浮かんできました。朝露にぬれた桑の葉、草いきれと共に。我が家にとっても、養蚕は貴重な収入源だったと思います。

貧しい農家に生まれ、厳しい人生を乗り切った先輩作家・平林たい子。その風土と時代背景をみれば、氏が如何に忍耐強く、日常生活の中から独自の文学世界を切り開いていったかが想像できると思います。今は、女性作家が特別でない時代。しかし、ここまでの道のりには、計りり知れない苦労が隠されている。
林芙美子も平林たい子も、作家と実人生において、重く稀な足跡を残したといえるでしょう。その意味でも、このブログ中で何か失礼があったなら、どうぞ御寛恕をお願い致します。

                      乃阿 一葦拝

硬軟軽重さまざま (高樹のぶ子)

このブログにコメントくださる方々・・・読み応えのある重厚なもの、カワイくて軽やかなもの、いろいろあって、素晴らしいです。おそらく同じ一人の人間が、様々な面を持っているんだと思います。

ひよこピョコピョコさせながら、涙流すこともあれば、深刻な記憶をコミカンと一緒に笑い飛ばしたり・・

何でもありでいきましょう。人間はなんでもありですから。

                          2007-09-14 17:28:59

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